多重人格障害・心霊なんでも相談室    
心霊なんでも相談室





 宇宙総帥までの道程
   
   

私が霊的世界との関わりを持ったのは40を少し過ぎてからである。    

初期の、修行の一環として自宅で二万回の般若心経を終え、四万回心経に入った時からである。    

二万回過ぎた頃、お経を唱えていると手が勝手に動き出した。  

お経の最中に手が動くと云う事は始めての体験であり、また自分の意思に関係なく動く事に戸惑う。   

故に、どうしたらいいのだ?

と不安が胸をよぎる・・・.

突然、不意打ちを喰らった感覚だ!  

それと共に背中に悪寒が走る。

背筋が寒くなり気味が悪い。

    

お経を唱え始めて手や体が動き出したのだ。    

何とも言葉に表せない感覚に陥る。

嬉しい反面、このまま続けるとどうなるのか?

と不安と恐怖。  

深い闇の中に吸い込まれていくようなおぞましい気分。   

このまま進むと今までの平穏な生活から引き離されるのではないか、と心が揺らぐ。   

お経を続けるべきか、それとも中断するか・・・迷う。   

がなるべくしてなるのなら、やるしかないと覚悟する。   

決断すると何とも云えない勇気が湧いてきた。   

しかし、まだ心の中では葛藤が続く。   

だが、少々不安は残るがお経に専念する事にした。   

するとますます激しく手が動き始めた。  

翌日には、お経を始めてすぐ堰を切ったように手や肩、腰が微妙に動き始めた。 

が暫くは体の動きを無視してお経を唱える。   

この数十日後、今度は右手だけが自分の意思に関係なく人差し指で耳をたたくような動きに入る。  

そして、次は左手が動き始めた。  

ついには両方の人指し指が、コツコツ両耳を交互に叩くようになる。  

この動きは、後日霊聴が聞こえるようになる為の作業だと分かる。

その、四五日後、両耳穴が貫通。

耳穴が貫通したとは霊聴が聞こえるようになったと云う証でもある。

そして最初に届いた声が偶像の神、不動明王。    

『我は不動明王である。今後は我に従うがよい!』と。  

この、不動明王の声が聞こえるようになった後、七福神からの指導を受けるようになる。

 

耳穴の次に、これもお経の最中であるが、右手が頭上に伸び弧を描く仕草を始めるようになる。  

右手が大きく弧を描き、その弧の中に四角や×のマークをいれるのだ。 

また、菱型や無限大(∞)の形も描く。  

この各印は、それどれ大変な意味を持つ。  

人間に対する天罰のかけ方や癒しの方法なのである。  

たとえば、天罰を懸けたい人に対しては、その方のお名前の上に∞の印を描くと云う具合に。

これは誰が書いても同じ。

また、簡単なXでも良い。  

この印を記すと真綿で首を締めるようにジワジワと年月を架けて効果が現れてくるというのものだ。  

お経を通じて日々、様々な経験をさせられ霊的世界との一体感がますます募るばかりになった。  

この頃になると四万回心経も佳境に入り、一日に多い時には5,6時間。

少ない時で3時間。 

通常は4時間程度。

しかし、あまりにも喉を酷使するため声が掠れやっと出る状態になる。  

このままでは般若心経の満願までに声が出なくなるのではないか、と危惧する。  

そして、正座しての読経。 

この読経中は微動だにできない。 

ただ、只管読経あるのみ。 

少しでも身体が動くと『ビッシ!』と背中を伸ばされる。

視えない監視役の容赦のない仕打ち。  

しかし、この般若心経が終わる頃には霊的能力は飛躍的に伸びていた。  

一口に四万回心経と云うが私にとっては大変な行であった。

がこの心経も約半年で満願を迎える。 

よく喉が酷使に耐えたものだと関心する。  

次からは鏡、ローソク、断食と様々な行が用意されていた。  

最後に太陽の行であるが、この行は太陽に向かって挨拶の仕方からである。    

先ず、頭上正面に太陽を仰ぎ、あぐらをかいて座りる。 

そして、両手を広げ胸の前で水平に合わせる。

次に、その両手を前の床に付け、肩の幅まで広げる。

この時、手の肘は腰の辺りまで戻し頭を深く2回下げる。  

その後、同じ姿勢のまま後ろに向きを変え1回頭を下げる。

以上が太陽の行の挨拶の仕方である。 

この方法をワンセットとして日々挨拶を繰り返すこととなる。   

太陽の行に入る前には必ずこの挨拶を行う。  

がいまだに理解出来ていないのが後ろを向いて挨拶したことだ。

あの挨拶はいったい誰に向かって行なったのか?  

単純に考えると、前が太陽なら後ろはお月さんか?

と思うが月からの影響、エネルギーを感じた事は一度もない。  

しかし、太陽を肉眼で直視した時、どこまでも青く澄み渡る紺碧の空にポッカリと浮かぶお姿が、漆黒の闇を照らす満月に良く似ているなと感じた事はある。  

だが、地上から見る輝きや大きさは微妙に違う、が・・・。  

太陽に挨拶が終わると、姿勢を戻し太陽の光を全身で浴びる。  

この太陽から発する光がエネルギーとなり、額、口、胸、腹、睾丸と順に直射してくる。  

額に照射を受けると大男から思いっきり両手で”バァーン!!”と強く押されたような衝撃が体中に走る。  

あまりの衝撃の強さに頭が後ろにのけ反る。  

座っている時は、体が安定しているから倒れる事はないが、立って受けると後ろに倒れ掛かるほどの激しさ。  

エネルギーの照射は座して受けたり、仰向けや直立姿勢で受けたり、と其の時の行によって変わる。  

あぐらをかいての照射は行の始めだけ。

その後はほとんど直立姿勢で受ける。  

エネルギーの照射は額から各所に激しく衝撃を与えながら順番に下がってくる。  

たとえば、口に受ける時は口が大きく開き”ドーンッ!!”とナニかが飛び込んでくるような感覚に捉われる。  

思わず”アァーッ!”と声を発する程だ。

このときも衝撃の強さで頭がのけ反る。  

それも一回の行で各所に8〜10回程のエネルギー照射だ。  

その度に首が後ろにしなる。

故に、当時、鞭打ち症にならなかったのが不思議なくらいである。  

頭から睾丸まで順次照射されると身体がコンニャク状態になりグニャグニャとなる。

頭に照射されると、その反動で腹がでる。

腹に照射されると頭が出る。

この繰り返しを幾度となく行うのだ。  

腹に照射された時などは、腹が”グゥーッ!!”とへこみ、思わず体が前屈みになるほどである。  

この照射は一年を通じて太陽が出ている間は毎日続く。

一日何回となく休憩を挟みエネルギーの照射を受ける。  

たとえ体がへとへになろうが休む事は許されなかった。

それほど強いエネルギーを受けていた。  

一日の行が終わると横に倒れこむように伏してしまう。

 行の合間に時折上頭部を太陽に向け脳の隅々まで、角度を変え点検されていた。  

レーダー光線のようなもので脳への影響、どの程度細胞に変化を及ぼしたのか、を調べているようにも感じられた。  

エネルギー照射のダメージか、今でも歩く時にふらつきがある。

これは、平衡感覚に影響を受けたからではないだろうか。  

このようなエネルギーの照射や一連の動きは自分の意思でやっている訳ではない。  

太陽に『存在?』

と思われる何ものかの意思で操り人形のように動かされているのだ。  

次に、太陽からのエネルギーを体で受けるだけではなく、太陽を凝視すると云う行も始まる。  

あのギラギラと輝く太陽を肉眼で見るのだ。  

この行はおもに夏が近づくと始まる。  

太陽に顔を向けるだけで背けたくなるほどのエネルギー。

尋常では出来ない行である。

例え、拒否したくても体が勝手に動く。  

先程も述べたように常に意識を自由に操られている。

故に、なすがまま、されるがままなのである。  

この太陽を見切るには腹に力を込め思いっきり凝視する。

少しでも気を抜くと一瞬で顔を弾かれる。  

この繰り返しを一日に何度もやらされるのだ。  

すると、不思議な事に太陽を肉眼で捉える事が出来るようになる。

あの、何処までも青く澄み渡る大空にポッカリと浮かぶ太陽。  

一面、紺碧の空間に黄金色の太陽か神々しく浮かんでいる。 

実際には太陽の周りに雲が漂ってはいるが目につく事はない。 

まるで、時間が止まったかのような錯覚に陥れられ茫然と見入ってしまうほど神々しい。  

ほんの数秒間であろうが眩しさに耐えられず我に返ると瞬く間に弾き返されてしまう。  

まるで、額縁の中の絵を見ているような錯覚にとらわれる。  

あの、燦燦と輝く太陽の光が今でも脳裏から離れる事はない。  

其れほど素晴らしい光景なのた。  

この太陽を肉眼で数十回は見たであろうか、何時までも心に残滓の如く残り忘れられない。  

行の終えた今では二度と目にする事はないだろう。  

がたとえ観たいと思っても顔が拒否する。

それ程強烈なエネルギーを発しているのだ。  

生半可なエネルギーではない爆裂する炎だ。    

次は太陽の行と平行して除霊のやり方に入る。  

最初の除霊の方法は、私が経営している店舗内に飾っていた七福神の仏像から教わる事になった。  

何も神がかり的な事ではなく、ただ置物として霊的修行に入る随分前から飾っていたものである。  

この七福神に何時もの習慣で朝の挨拶をしていた時のことである。

”今日も宜しくお願いします”と。  

すると、修行に入ってまだ間もない頃だが、日常の挨拶をしていると突然体を押された。  

『う、なんだ・・・・?』

一瞬錯覚か、とまた新たに挨拶をやり直す。

と再度押された。  

『もしかすると、今押したのは七福神様ですか?』

とお伺いすると、返事の代わりなのか、また押された。  

今度は前より軽くではあるが。  

七福神が私の問いかけに反応している。  

ただ飾っているだけの置物に意識が入っていたとは・・・?  

何時の頃から意識が入っていたのだろうか?  

先程押されたばかりの七福神に軽い気持ちで話しかけてみた。

≪七福神様、私に除霊の仕方を教えて頂けませんか?≫と、するとまたもや体が反応したのだ。  

偶然の賜物か、それとも七福神を飾っていたのは必然的に飾らされていたのか?  

これも天界(太陽)の意思?

このような時期が来る事は前もってわかっていたと言うことなのだろうか?  

早速、この日から七福神様より除霊の方法を教わる事になる。  

除霊の方法とは、どこの霊能者でもやっているように合掌してお経をあげると云う事かと思いきや、そんな単純な事ではなかった。  

それは、今後除霊に関する初歩の中で一番大事な事と思われる手の動きだった。  

その動きとは空手で使う手刀である。  

この手刀を棚の七福神様めがけて打ち下ろすのだ。  

打ち下ろし方が弱ければ反応がない。

強ければ私の体に打ち下ろした時の衝撃が跳ね返ってくる。  

鏡に向かって自分の姿を斬るようなものだと思えばいい。  

その時の跳ね返る衝撃で手刀の強弱が分かるのだ。  

ただ闇雲に振り落とすだけでは駄目。

振り切るのではなく思いっきり振り落とした手刀を、ある一定の所で瞬時に止めなければならない。  

空手の寸止めの要領だ。  

振り切ると力が流れてしまうからだろう。  

この練習は七福神様が良いと云うまで毎日続けた。  

この日々の練習のお陰で手刀も一応格好がつくまでになった。  

いよいよ霊との戦いが始まる。  

だが、まだ問題が残っていた。

自分に憑依する霊に対しては除霊する事が出来ないのだ。  

この頃は霊症を抱えた方が少しずつではあったが私の所にもお見えになられていた。  

除霊の方法はお経。

それに覚えたての手刀が全てだ。  

だが霊能力が高まにつれ、自分自身が霊の攻撃に晒される事となった。  

霊が憑依すればすぐ気づくのだが、自分の力ではどうする事もできない。  

自分に憑いた霊にはまったくの無力なのだ。  

七福神様にこの事をお伝えすると『心配することはない。私がとってやる』。

と言われたような気がしてある程度安心した。  

この頃には言葉ではないがインスピレーションで理解できるようにはなっていた。  

その後、霊が入ったと分かれば、すぐに七福神様にお願いするようになった。  

声に出し『七福神様、除霊お願致します』と云うと即刻除霊して頂けた。 

除霊のお願いをする場所は何処でも良い。  

このようにして、憑いたら落とす、憑いたら落とすという日々が暫く続いていたが、ある日を境に幾ら七福神様を呼んでも返答がなくなる。  

と同時に除霊もして頂けなくなった。  

何時までも頼るな、自分でやれ!

と云う事ではないだろうか。

その後、仕方なく自分で除霊する方法を考える。  

が、どの様にすれば除霊が出来るのか?

と思案するがなかなか良い案が浮かばない。  

そこで、七福神様を鏡と見立てて練習した事を思い出し、鏡に自分の姿を映し、その姿に向かって手刀を落とす。

と云う方法を考えだしたのだ。  

早速、私に憑いた霊に試してみた。

憑依された体を鏡に映し手刀を振り下ろす。

それを幾度となく繰り返しているうちに除霊が出来るようなった。  

この方法が功を奏し、自分自身に憑依した霊の除霊に始めて成功することが出来たのだ。  

この当時は人霊と動物霊が一週間交代のように交互に入ってきていた。  

人霊はわりと楽に除霊出来たが、動物霊はなかなか上手くいかなかった。  

人霊の場合は、先程試した鏡の前に立ち自分の姿に手刀を打ち下ろす。  

自分の姿を鏡に映すと憑依した霊と重なるのではないだろうか。  

すると、霊は衝撃を受け離れる。    

鏡に映る姿に手刀を打ち落とすたびに私の顔が苦痛で歪む。 

がどこと言って痛い訳ではないがなぜか顔が引きつる。   

この顔の歪みが霊の苦しみを物語っているのだ。   

七福神様との練習の時と同じように自分の手刀の威力が自分に跳ね返ってくる。   

この頃に憑いていた霊は、多分低級霊だと思う。  

 いわば練習用の霊がいたのではないだろうか?   

だが、動物霊は人霊のように簡単ではなかった。   

手刀程度ではまったく歯が立たなかったのだ。   

そこで考えついたのが、とり憑いた動物の天敵を想いうかべ想像の中で戦わせる事だった。   

犬の霊が入れば、狼との戦いを想う。

すると犬は狼を恐れ離れていく。   

人霊でも動物霊でも『とり憑く』と言う事は人間の体にではなく魂に憑く事を云う。   

故に意識(魂)の世界で戦わせる事が可能となるのだ。   

犬が入れば私の口から『ワンッワンッ!!』と吠え、猫が入ると『ニャーオ』と鳴く。   

初めは不気味だったが慣れれば何と云う事はなかった。   

また、蛇が入ると両手を合わせて前に出す。

と其の手がクネクネと動き出す。   

そのクネクネ動く手の下にローソクを立て火で炙る。

すると蛇もたまらず離れていく。   

犬、猫、蛇と動物霊が入ると、想像以外では熱い風呂に浸かると効果的だった。  

 風呂に浸かると途端に『ギャー!!』と叫び声をあげ、どの動物霊も飛び出るのだ。   

この熱湯風呂も多用した。   

この様な幼稚な作業を、と思われるだろうが、自分にとり憑いた霊に対しては、この除霊の方法しか思い浮かばなかった。

が効果はてきめんだった。    

未熟だった修行時代をこのようにして乗り越えたのだ。

 その後、霊に憑依されることもなくなった。   

また七福神に頼る事も一切なくなった。   

これまでは、私を指導する師匠は七福神だけだったが、その後、千手観音、不動明王、大日如来と偶像の神々が順次降り指導をして去って逝った。    

成長過程に合わせて指導者が変わっていったのだ。   

初めの七福神は小学生程度の能力ではなかったかと思う。   

指導者が変わるたびに霊的能力が増していったのは云うまでもない。   

偶像の、最後の指導者は大日如来。

だが、この大日如来も自分の持てる技を全て伝授すると静かに去っていった。   

七福神が去ったように偶像の主だった神々も去っていたのだ。  

この頃になると霊聴もますます多く聞えるようになり、頭の中が混乱するほど騒々しくなっていく。   

聞こうと思えば四六時中、霊聴が飛び交い、まるで通信局のような混雑ぶり。   

それも予言のような事ばかり。   

しかし、この予言らしきものは全て嘘。

嘘と分かっているが、やはり聴いてしまう。

そして騙される。

その繰り返し。   

振り込み詐欺のように嘘が上手い。   

何度信じて騙された事やら。

嘘と分かっていながら、ついつい”なぜ”か聞き耳を立ててしまう。

其のぐらい信憑性のある嘘をつく。     

だが、全て嘘と云う訳ではない。

中には本当の事も多少はあったように思う。   

私とて、嘘と分かっている霊聴に何時までも騙されるわけにはいかない。

私の霊聴を信じるご相談者もいたからだ。   

私が騙されれば其の方達に多大なご迷惑をおかけする事にもなる。

既に私一人の問題ではなくなっていたからだ。   

しかし、幾ら慎重に霊聴を聴こうとしても聴こえるのは嘘。

いわゆる霊聴は全て”嘘”だと云う事を学んだのもこの時期だった。   

だが、いまだにテレビ出演している霊能者といわれる方々は霊聴を真に受けてコメントしている。  

そのコメントを信じて疑わない視聴者も可愛そうな被害者ではある。  

このように、霊聴を真に受ける霊能者には気をつけるべきだ。      

更に低級霊、高級霊(など居る?)なる霊の霊聴も全て嘘だと思って間違いがない。   

たまに”高級霊”などと訳も分からない言葉を使う人も居るようだが、人間界をさ迷う霊は全て低級霊。   

高級霊なるものの有無はさておき、もしいるとすれば人間界に降りる事などは絶対ないと断言できる。   

何を持って高級霊と言うのか、知識人の言動には首を傾げるばかりだ。   

また、巷では水子なる霊がとり憑くなどと云われているが、そのような霊もいない。   

これは、たんなるお金儲けの小道具として利用しているだけにすぎないのではないだろうか。   

私は、一度も水子などと言う霊と合ったことはない。     

が、中には真実を語る霊もいるにはいる。

がそれは単なる”霊”と同列する分けにはいかない。

非常に強い意思を持つ霊、怨霊なのである。   

怨霊は殆ど気配を出さないため霊能者に気づかれる事はまずない。

いや、たとえ気づかれたとしても、何も手立てがある訳でもないだろう。   

また、怨霊とは悪霊の強いヤツや、生霊の怨念の事を云っているようだがそうではない。   

怨霊とは前世からの恨みの念なのである。

所謂、前世の因縁と云うヤツだ。  

さて、並行して行なっていた太陽の行では、修行の最中に天界(太陽)から、霊的世界の存在と戦うのに必要な武器が順次降りて来るまでになっていた。  

この太陽の行が終わった時には最強の武器を身に纏うことになる。   

初めに降りてきた武器は砂金とお経。  

これらは、目に見える物質ではないが私にはインスピレーションで分かるのだ。   

天界から砂金とお経が体に降り注ぎ体中が金とお経で覆われたのだ。   

翌日の行では大中小の槍、数週間後に刀が口の中に入ってくる。   

口を通して体の中に入ってきたのだ。  

口の中に槍や刀が入る時は、口が裂けるのでは、と思う程大きく開き、両手で槍や刀な柄を握るようにしてゆっくり挿入する。  

実体はないが、実物のごとく感じるほど口に入る時は苦しく思わず声を漏らすほどだ。  

そのほか一年を通して、大日如来が首に下げているネックレスや不動明王の錫杖とありとあらゆる武器が降りてきた。  

最後に黄金の四種の巻物である。  

中国歴代の皇帝に伝わるような秘伝の巻物なのだ。  

いや、其れよりも素晴らしい物だった感覚は残っている。  

全ての巻物が黄金の縁取りで、赤、黒、黄色、緑色の巻物であった。

その生地までは分からなかったが。  

行の最中にあらゆる武器を纏い、視えない世界の無敵の王に君臨したのだ。  

体中に黄金の鎧を纏い、声を発すれば槍となり、手を動かせば剣となる。  

もはやお経を上げる必要がなくなった。  

それにお経は弱い霊には通用するだろうが強い霊には意味を為さない。



                         

これまで般若心経から始まり太陽の行までに要した期間は10年。   

その後、宇宙総帥になるまで8年、合計18年。


                                              

・・・・この18年の間に私の周りも変わった。

10年一昔と云うが、すでに二昔になるのだろうか。  

18年前の生活と修行期間を終えた私の人生は180度変わった。   

環境も全て変わってしまった。

18年前は家族もいた。  

商売をして従業員も多数いた。

よく金も使い酒も飲んだ。  

しかし、今は私の周りに誰もいない。

家族もいない、商売もやめた。   

孤独地獄も味わった・・・。

どれ程寂しく涙を流したことか・・・・。  

今では、人間と話をするより視えない存在と話しをする方が多くなった。  

全て天界の云うがまま、なすがままに従った結果だ。  

名前も七回変わった。

主な名前としては宇宙エネルギー太陽塾・現人神、神尊、太陽神等。

最後に宇宙総帥八坂啓二と本名に戻った。  

そして、人間としての人生は幕を閉じ宇宙総帥としての新たな一歩が始まった。  

結果、物欲の喪失、魂の高揚。

で自分本来の姿を知る事ができた。  

修行に入る前までは、人間として地道に商売をしてある程度満足のいく金銭を稼いでいたし、家族にも恵まれていた。  

将来に不安を抱くことのないほど蓄えもあったが40才から関わった霊的世界で人生が一変した。  

21歳から40歳までの間に商売で得た金銭をその後の18年で全てを失くした。

 人間界で得たものは人間界に返すと云われていたが本当だった。   

今生に降臨した時から運命は決められていた事だろうが宇宙最高の神になり無一文にされた。  

”なんだこりゃー”と云うと天界には金が溢れていると言うのだが。   

それが”何れ入る”などと詭弁を云われるが、それがいつの事やら。

 しかし、無償の財産を手に入れた事は得がたいものだ。  

修業を始めて行が進むにつれ金銭的には厳しくなっていった。  

その矛盾にやりきれなく酒を飲んでは荒れたものだ。  

しかし、天界では人間界の上様以上の絢爛豪華な暮らしをしていた筈である。

当然”寂しい”などと云う言葉もない。  

しかし、修行中の3年間に渡る孤独地獄は耐えがたいものだった。 

寂しくて寂しくて、酒を飲んで暴れるしかなかった。  

また、修行中、太陽から睾丸にエネルギーの照射を受けていたのだが、それは生殖機能を喪失させるためのものだった

が其の時はそのような事は全く分からなかった。   

修業中から着々と、この日が来るための準備をされていたのだ。   

しかし機能が喪失されたお陰で性欲もまったくなくなった。  

性欲がなくなった事に関しては感謝したいくらいだ。  

女性を気にせず暮らせる事がこれほど楽なこととは思わなかった。   

だが、性欲だけではなく物欲も消されている。

何が欲しいと求める物もない。

故に、際限のない欲望からも解放されたのだ。  

天界”バンダ〜イ!”と叫びたいほどだ。  

あれ程飲んでいた酒も一人では飲む気も起きなく、あまり飲まなくても良くなった。    

人間の苦悩、煩悩の多くが無くなったのだ。

 仏教の世界では、煩悩をなくす為のあらゆる修行をするというが、私にはその必要がない。  

天界の存在が勝手に意識を変えてくれるのだ。  

例えば、過去、一時期パチンコにはまっていた、が行を始めて暫く過ぎ、そのパチンコを思い出し行ってみた。  

そして、誰もいないパチンコ屋の入り口に足を一歩踏み入れようとすると、突然体が弾かれるように外に押し出された。  

まるで、入り口に立つ警備員に押し返されたように。  

突然、胸を突かれ”入るなー!!”と。  

いや、パチンコだけではない。

相撲や週刊誌などを見る事などもそうだ。  

また、何時の頃からか大相撲が大好きになり本場所が始まると毎日テレビの前にくぎ付けになっていた。  

その大好きな相撲も、見ようとすると目がチカチカして画面を見る事すら出来なくされていた。  

更に、週刊漫画なども同じ。

手にした途端頭がクラクラしてくる。

宝クジ売り場でもそうだ。

宝くじを『タカラ・・・・タァ・・』と買おうとするが言葉にならない。  

で売り場の人に恥ずかしくて、ほうほうの呈で立ち去った事もある。   

要するに人間の楽しむ娯楽は修行中には一切出来ないようにされていた。  

ただ、飲酒だけは止められる事もなく幾らでも飲めた。

いやそうでもないか。  

修行を始めて3年が過ぎた頃、酒を飲もうとコップを手にすると手が動かなくなった。

その動かない手を無理やり動かそうとすると、今度は口が引きつる。

所謂、飲んではならぬ!と言う天界の命令なのだ。

 それでも、ある酒席で少しぐらいなら、と軽い気持ちでグラスに注がれた酒を口に運ぼうとする、がそれも匂いだけで気分が悪くなる。  

所謂、意識を管理されてしまったのだ。

それからは酒を飲む気がしなくなった。  

このようにして視えない存在に操られるように禁酒が始まった。  

初めの禁酒期間が2ヶ月。

其の翌年が1ヶ月。

其の次が15日と徐々に禁酒期間は短くなってはいった。  

で今では自主的に禁酒はする。  

食べ物も2年間ほど肉や魚も禁じられた。  

それは肉や魚の『だし汁』が入っているだけだもだめだった。  

インスタントラーメンも原材料に魚肉のだし汁が入っているから食べられなかった。

故に、食べられないと無性に食べたくなる。  

このように修行中は人間の娯楽や飲食物まで厳しく規制されていた。  

また、真夏の一月間は太陽が昇っている間は一切飲食物は口にしてはならないという時期もあった。  

禁酒解禁の数ヵ月後、ブラディーを口に含んでいると、まだ3分の2程残っている洋酒を、イッキのみさせられた事もあった。

 頭の中で『其の酒を一気に飲め!』と囁くように命令されるのだ。

この天の声に逆らう事などは出来ない。  

逆らえば即、口がゆがめられ『アッ、アッ〜・・・』と云う事態に陥る。

故に、云われるがままにするしかないと一気に飲み干した。  

そして飲み終わり1時間ほどして意識はなくなった。  

その後、ブランディーの一気飲みは3回程やらされた。

 20度の焼酎を飲んでいる時もそうだ。  

やはり、8合程入っていた焼酎瓶を咥えて一気飲みだ。

この時は30分程正気だったがその後意識はなくなる。  

ブランディーを一気飲みした翌日は二日酔いもなく普通に起きあがれたが、焼酎の時は悲惨だった。

喉チンコは溶けてなくなり唾も飲めないほどの痛みに襲われた。    

喉チンコが溶けたのは、意識をなくし大量の焼酎と胃液を戻したせいだと分かったが、不思議にこの時吐き出した吐瀉物には、水分だけで、焼酎特有のすえた様な鼻を突く嫌な匂いは一切なかった。  

まるで水をこぼした様に無臭で、辺りが湿っているだけだった。  

が戻した焼酎で口蓋垂(こうがいすい)、喉チンコ、が半分ほど溶けてなくなっていた。  

そのため一週間ほど飲み食いすることができなかった。

苦しい体験をさせられたものだ。  

この体験は身体の内臓器官がアルコールにどれ程耐えられるのか、を試されたのだと思う。  

修行中、太陽の方角に頭を向け、頭脳を丹念に調べられたのもそうだ。  

調べられたのは頭脳だけではなく、口中から内臓もだ。

口を大きく開けさせられ太陽に向かって口の角度を微妙に動かし念入りに喉の奥深くまで覗かれていた。  

これは太陽からのエネルギーが口中に照射された後が多かったように記憶する。

 この様なことが出来るのは太陽に存在する”意識”の仕業ではないだろうか?

と思うこともしばしばあった。  

その意識の一員として人間界に降りてきているのではないだろうか、とも。  

いわば宇宙人と関係があるのではないか?

と云うことだ。  

話が飛躍しすぎると思われるが地球上には、人間以外の生物の創造物と思われる謎の物体が沢山残されている。  

更に、神の存在自体、宇宙人だという説もあるほどだ。    

これまで、修行中の辛かった事ばかりを述べたが、良い事もある。   

先ず、なんと云っても悩みを消された事が第一だ。

 悩みがなくなる。

悩まなければならない事が山ほどあると思うのだが悩まないのだ。  

初めは小さな悩みだけだったが次第に大きな悩みも消えた。  

今は余程の大事件でも起きない限り悩むことはないだろう。

心に何らかの不安が生じると脳に金属のワッパをかけられたように”キュウ!!”と締めつけられ不安を消されたのが始まりだ。  

子供の頃、映画で観た孫悟空の頭についていたワッカを思いだす。  

あの、孫悟空の頭に付けられたワッカそのものだ。  

このような経過を辿り一通りの修行が終わる。

気づくと視えない世界の頂点にいた。  

今では全ての神々の上に立ち魔界の魔王まで従えるようになった。   

これも修行をして自分の本来あるべき姿を見つけられた結果なのだ。  

確かに異性との交際や娯楽等は出来ないようにされたが、それ以上に宇宙総帥としての立場は居心地がよい。  

考え方によっては、意識を自由に操られるのも悪くはないかと思う事もしばしある。  

普通の暮らしからよくもまあこの様に変わったものだ・・・。  

人間がどの様な過酷な修行に耐えても、所詮人間は人間、それ以上の能力を備える事は出来ない。  

肉体は修行によって如何ほどにも強靭な体に変えることも可能だろうが魂を鍛える事はできない。  

私のように特殊な存在でない限り魂を磨く事などはできない。  

恐怖は魂の怯えから来ることが多い。

故に、人間は偶像の神々や宗教に頼ろうとするのだろう。  

自分を信じ、自分の意思に忠実に従える人はなんと少ない事か? 

しかし、残念ながらたとえ自分に忠実になろうとしても、魂事態が前世の因縁に操られている以上それは叶わない。  

何時、理不尽な闇に引きずり込まれるか分からないからだ。  

人を頼って、頼られ、支えあっていくのが人生だと云うが? 

何とも不思議な事に霊的世界のプロと云われる方々も神を頼って生きている。  

また、神々に従順に従い崇める霊能者。  

殆どの霊媒所やお参り所には、このような神仏像を飾っている。

其の仏像に毎日手を合わせ何事かをお願いする。  

しかし、この様な仏像に神などが入っているわけはないのだが。  

そもそも神とはなんどや?

そこから考えなおさなければ人を真に指導する事など出来る訳がない。  

また、仏像に巣食っている魂は神のふりをした魔物の類か低級霊だ。  

魔物等が入っているとも知らずに仏像を神と崇め、その力を借りて除霊をしているのだ。

 魔物の力で除霊している霊能者などはたかが知れている。  

だから皮膚を刺す蚊のように軽い存在の悪霊しか落とせないのである。  

所詮、下等な霊を、お経を頼りに除霊するしか出来ないのがO能者なのである。

 私の相談所では仏像などは一切ない。

頼るのは自分の力しかないからだ。  

拝む、手を合わせると言うこともない。  

少し前までは、怨霊を呼び出し念を解き、上にあがるよう進めるのが役目のようだったが、今では殺された前世の記憶を全て消し去り霊界に昇らせている。

 闇夜に漂う悪霊達も、今では歯牙にかける事もない。  

巨悪な霊軍団との対決も視野に入れていたが、それも過去の思い出となってしまった。  

地獄の淵に屯する化け物等との戦い(最長で三ヶ月)で得た力を持ってすれば、悪霊軍団如きたわいのないものだ。  

我が能力、宇宙総帥としての存在感を闇の住人どもに骨の髄まで知らしめなければ、と思ったがもはや私を脅かす敵となり得るものがいない。                    

今や、天界の支配者『宇宙総帥』として人間界に名乗りを上げたのだ。     

そして、全ての霊的修行が終わり始めて視えてきたことがある。  

それは、神や魔物の棲む世界と、霊界は次元が違うと云うことだ。   

神々や魔物は、霊や怨霊の存在を知らないだけでなく視る事さえできない。  

また、霊も、神々や魔物と同じで、その存在すら知らない。  

では、本当に神々には霊や怨霊は視えていないのか?   

怨霊が潜む家屋敷には土地神や水神もいる、時々風神も通るであろう。  

だが土地神、水神、或いは風神、竜神なども霊について触れたことは一度もない。  

私はこれら神々を随分と呼び出し、苦しめたり要望を聞いたりしたが霊についての会話が出る事は全くなかった。

 その、霊の存在事態、神々は知らないのだと云う事に今回気づいたのだ。  

それと同じように怨霊や悪霊も土地に関わる神々の存在を知らない。  

そこで、本当に知らないのか土地神に聞いてみた。

すると”怨霊”とはなんですか?と。  

怨霊に聞いても『え、神様がいるのですか?』

とこれも視えていないのだ。

お互い交わる事のない空間と云うか次元に存在していたのだ。

余談だが、それよりもビックリしたのは宮崎の、とある神社に祭られている稲荷である。

この稲荷は同じ境内に祀られている神を知らなかったのだ。  

稲荷も神の末端であろうが、その上に君臨する神について私が

『あの神殿には何があるのだ?』と聞くと

『えっ、ナニカあるのですか?』と神殿すら知らなかったのだ。  

このように、人間が祭る神々などは次元の違う存在からすると何一つ知らない。

言い換えれば有難がる神殿にはナニモノも存在してはいないと云う事なのだ。  

その神殿で手を合わせるのは人間だけなのである。    

と云う事で、神々(神棚)と霊界(仏壇)の関係はお分かり頂けたであろうか?  

次元を超えた世界の頂点に立つ私は、地球上に存在する物質しか見えないが、無意識の意識を感じる事は出来る。  

また、次元の歪(ひずみ)で飛び交う無意識の意識と通じているのは私だけなのである。    

一般家庭で育った私が過酷な修行を経て、本来の宇宙総帥を名乗る事が出来るまでには18年の長い道のりが必要だった。  

更に怨霊の治療、記憶を消す能力を備えるまでに数年の月日が経過した事になる。

 修行で会得した能力の一部ではあるが、人間を地獄に落とすことも天国に昇らせる事も、更に魂の破壊までやれる力を得た。  

最後になったが修行が終わってよかった事と云えば、宇宙総帥となり暖かいシャワーを浴び風呂に入れるようになったことだ。

43歳ぐらいの時に四万回の般若心経を始めた。

その時から行に入る前には必ず水で体を洗い清める事が習慣となり、それ以来、お湯を使う事はなくなった。  

冬の寒い日、窓の外を見ると雪がチラホラと舞う、その雪を見ると体が緊張し縛れる。  

それでも水を浴びなければ修行が始まらない・・・。  

約13年間の水との付き合いだった。  

宇宙総帥となり全ての緊縛から解放され自由になった。

暖かい風呂にも入れる・・・・。  

何でも自由にできる様になったが長年の習慣は簡単には忘れる事はできまい。  

やはり自重した生活が身についてしまったのだろう。

この暮らしが一番合っているように思う。  

視えない存在に管理されている生活が・・・・。  

このようにして宇宙総帥は完成した。                                                             

  完





 

   そして10数年経た今〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜2016

 

かねてより、私の心の中に或る時期から潜むようにして存在している天界の使者から、何れ天界の王妃様が宇宙総帥様の元にお見えになられます、と云われていた。

 

それが、18年前私が一人になって数か月経った後のことである。

 

そして、昨年(平成28)その奇跡が起きたのだ。

 

所謂、予言通りになったのだ。

 

私より32歳も若い女性が本当に現れたのだ!

 

これは、10数年前から言われ続けていたことだが、それが現実に起きたのだ。

 

それまでは、常に『王妃が・・・』と云われていたが、私としてはあまり信用はしていなかった。

 

と云うのも、天界の使者は、先を見通すことのできない私を子供をあやすかの如く、その場限りの嘘を云って誤魔化すことが度々あったからだ。

 

まぁ、それは私の為、未来を予見しての事ではあるが。

 

しかし、私はこの予見に付いては真に受けていなかった。

 

が!

 

突然私の元にやってきた女性が本当に天界の王妃なのか?

 

私の妻だった女性なのか?

 

と俄かには信じられなかった。

 

しかし、と或る神社に行きその謎は覆った。

 

と或る神社とは奈良県に存在する。

 

そこに、王妃のご両親と共に何の気なしにぶらりと散策に行った時のことだ。

 

私は神社に行くと何時もの慣例で、必ずそこの主を呼び出す。 (主とは人間が造った祭神ではなく魔界の主のこと)

 

なぜ、神社に行くようになったのか?

 

と云えば、私の中に潜む天界の使者から、或る時私が『神』だと知らされた時からなのだ。

 

それは、私が神などと突然云われても俄かには信じられなかったからだ。

 

と云うのも、私は神などと云うものの存在自体を信じていなかったことも一因するだろう。

 

で私は本当に神なのか?

 

と疑い、近くの祠や神社。

 

また、遠く離れた九州の主だった神社に行き確かめたのだ。

 

『私は本当の神なのか?』

 

すると、どこの神社でも『宇宙総帥様、わざわざお出で頂きありがたき幸せでございます』と云って丁寧な挨拶を受けたのだ。

 

また、小さな祠などでは、私が『おい!』と呼ぶだけで、震えて言葉にならない程なのだ。 (震えてとは、私の中に入ってと云うこと) 

 

そのような行為を私は視察と呼び度々出向いて挨拶を受けていた。

 

それも、九州は云わずと知れた四国や広島、京都と行ってみた。

 

が何処に行っても、恭しい挨拶を受けてきた。

 

で私も何時しか、自分は神の一番上に存在するものなのだ。

 

と認識するに至ったのだ。


そこで、話を戻すが、なぜ私の元にやってきた女性が『天界の王妃』なのだ。

 

と認識するに至ったのか?

 

と云えば、散策するつもりで神社の主を呼び出すと、なぜか震え、どぎまぎしている。

 

『どうしたのだ?』と訊くと『奥方様とご一緒なので緊張してしまって・・・』と云うのだ。

 

そこで、この女性は間違いなく天界で私の妻として暮らしていた王妃だと分かったのだ。

 

とともに、不思議なことだが、王妃が私の元にやってくるのを待っていたかのようにして、私の身体の調子が崩れていった。

 

それと、云うのも12月7日(2016)過ぎから身体に太陽エネルギーの照射を受け始めたことからだ。

 

エネルギーを受ける箇所としては額、口中、腹、局部。

 

このエネルギーが各部に満杯になるまで1回につき複数回受ける。

 

この照射を1日6〜7回繰り返す。

 

照射期間は約1週間程で終わった。

 

エネルギーの照射は修業期間には常に受けていた。

 

が最近では殆どなかった。

 

しかし、照射後、風邪に似た症状に悩まされることとなった。

 

風邪に似た症状とは、微熱は続いたが咳や痰、鼻水等は全くでない。

 

要するに、どんなに考えても『風邪』ではないのだ。

 

しかし、風邪に物凄く似ている症状であることに間違いはない。

 

特に酷かったのは風呂上がりのバスタオルの重さだった。

 

バスタオルが重いなど、これまで感じたことなど一度もない。

 

その重いタオルで身体を拭いた後はソファーに倒れ込むようにして寝込んだ。


今も、腰が寒くて風邪引きの感じがしている。

 

腰が寒いなどと云う症状も初めての経験である。

 

そして、このような症状で悩まされている時に、私の名前が突如変わったのだ。

 

今までは『宇宙総帥 八坂啓二』だったのだが八坂啓二が消え『宇宙総帥』となったのだ。

 

所謂、独り立ちしたのだ。

 

故に、地球上に降りた完全な宇宙の王として天界のワタシに認められたのだ。

 

また、これまで私の心の中に潜んで陰に日向に私をサポート(助言)していた使者もいなくなった。(しかし、身体の回復と同時に戻ってきた)

 

かくして『宇宙総帥 八坂啓二』から10年経て宇宙の王として完成したのだ。

 

故に、これからは何が起きても、ダレに助言を受けることもできなくなった。

 

今後は、王妃とともに考えろ、と天界のワタシが云わんとしているかのように。

 

・・・・んん?

 

では、人間と同じように二人三脚で生きろ!

 

とでも云うことなのか。

 

まぁ、今後の人生、それも良いことだ。

 

これまで寂しく過ごしてきた人生が一変するのだ。

 

天界の使者が言っていたように、やっと私にも王としての春が訪れたようだ。

 

『宇宙総帥様、これからは王妃様と楽しくお過ごしください』

 

と。

 

また、王妃とは32歳差があるが、これはこれでいいのだ。

 

万一、私と同じ年代なら、同じように歳を取ってしまう。

 

所謂、同じように老人になってしまうと云うことなのだ。

 

私は、老いさらばえ朽ちた王妃の姿を見る訳にはいかない。

 

やはり、上にあがるまで王妃は王妃のままでいて貰わなければならない。

 

歳の差がある故に、私は姫の老いた姿をみることもなく上に帰ることができるのだ。

 

そして、帰天すれば、降りる前と同じ気品溢れる華やかな王妃のお出迎えを受けることになるのだ。

 

それに、ここでは32歳差ではあるが天界と人間界では時間差があるため、人間界に降りた時期は殆ど変らないのだ。

 

・・・・・そして、私の不可解な病も王妃の介抱のお陰で徐々に回復に向かっている。

 

本来、身体にエネルギーを照射すると、何がしかの霊的変化が起きるのだが、今回は今のところ何も起きてはいない。

 

ただ、変化と云えば身体が毎日肉を要求することだ。

 

これまで、肉は年に数回程度しか食していなかったのに?

 

霊的エネルギーを浴びて体質が変わってきたのだろうか。



 

最後に、数万軒所帯のご家庭の中で日本で唯一選ばれた王妃を生み育てて頂いたご両親に敬意を払わずに入られない。

 

また、王妃を心体ともに健やかにお育て頂き大変ありがたく感謝している。

 

宇宙総帥







下記は怨霊に祟られた方々からの相談事例。


          

yafoo 検索 ”FC2小説 ミステリー・著者名・宇宙総帥”


                

=補足=*怨霊、化け物、天国の入り口について       

一人の怨霊ならそれほどでもないが、数十人の怨霊に祟られると生まれながらにして肉体に障害を与えられる事になる。

それは厳しい恨みの報復である。  

また、これからと云う人生の節目等に突然体の自由を奪われ奇病難病に冒されたりもする。  

前世で殺人事件などを犯した者は、今生でも同じように殺人を犯すように仕向けられ無期懲役、或いは死刑となり罪の償いをさせられる事となる。  

また、幾ら輪廻転生を繰り返しても怨霊の恨みが解けぬ限り同じ行為を繰り返される事になる。

そして、最後には地獄に落とされる定めとなるのである。(地獄逝きを決めるのは通説の”閻魔大王”ではなく怨霊なのである)   

奇病難病に侵されている方や重罪を犯し極刑に処される犯罪者には、このような前世の因縁(怨霊)が必ず関わっているといっても過言ではない。

それ程深い恨みの念なのである。

悪霊などと云われる下等な霊は、霊的能力のある方なら、どなたでも視ることは出来るが、怨霊は人間の心の奥深くに潜んでいるため視認することは出来ない。  

土地に潜む数百年前の持ち主(怨霊)も霊能者と云われる方々には視えないようである。  

その証拠に土地の怨霊は全く手付かずの状態なのだ。

過去に人間が住んでいたと思われる土地には必ず、この怨霊は潜んでいる。  

そして、その土地に住む方々に数々の禍を出しているのだ。        

現在でも、この数百年前の土地の持ち主の禍(各家庭内の喧嘩や揉め事)に悩まされている方々は多数おられる筈だ。

この、土地の怨霊が居なくなれば大多数の家庭に平和が訪れる。

だが、誰も手出しの出来ないほどの強力な怨念の主でもある。  

=人間は日々、家に潜む数百年前の土地の持ち主に脅かされ、人生は前世の因縁(怨霊)に操られている= 

 前世の因縁(怨霊)や土地に潜む霊は、今の私にとっては他愛のない”単なる霊”と成り果てた。

 しかし、怨霊や悪霊に侵され長い間奇病難病を患っている方にとっては大変やっかいな霊である。

 たとえ怨霊を除けたからと言って、すぐに症状が回復するという訳ではないからだ。  

早期回復には、いかに早く除霊するかがカギとなる。

と云う前に奇病難病が”霊症”だと認知される事の方が先決だが。

奇病難病の影に怨霊ありと云っても過言ではない。

この怨霊の念を解く事ができるのは私、宇宙総帥しかいないだろう。   

今では、怨霊の死に至ったキズを治し、殺された記憶まで消し去る事が出来るようになった。

そのキズとは、頭や体の至るところ、全てに於いてだ。  

首の無い体にも、元の首を付ける。(首の無い体とは、首吊り自殺した人間の事)

首吊り自殺をすると、魂の首から上がなくなる。

魂と言っても向こう側ではこちらと同じ人間なのだ。(人間界に現れる幽霊と同じ)

とは言っても物質である身体はない。  

更に、死後怨霊となった魂ばかりが集まる場所から、寿命の尽きた人が最初に逝くと想われる待合所(三途の川)のような場所に移動させる事もできるようになった。  

この待合所はご先祖さんがお迎えにみえる場所。

ここからご先祖さんに連れられ”故郷”に帰るのだ。  

怨霊の集まる場所とは、山の麓のような霧の深い木々の密集した薄暗い林の中。  

ここは、血臭と云うか、腐臭と云うか異様な匂いが辺り一帯に立ち込めている。  

その林の中に一本の道が木々をぬうようにして、緩やかな傾斜で上下に真っ直ぐ伸びている。

その道を昇るとご先祖さんの棲む故郷があり、下ると地獄がある。  

怨霊の棲家は地獄からの苦痛に満ちた叫び声が、のべつまくなく聴こえる程、地獄に近い場所なのだ。  

このような場所から、辺り一面花畑、目の前には石ころを敷き詰めたような川原があり、この川原には伝馬船が行きかうのに十分な水が緩やかに流れている。

大変のどかな場所に先に記した待合所があり、そこに移動させるのだ。  

臨死体験をされた方達皆さんが口を揃えて云うところでもある。  

待合所に移動されると、先ほどまで怨霊の棲む林で痛みに喘いでいたものが”ここはどこですか?”と、死んだ記憶さえ無くし、聴いてくるのだ。  

それまでの経緯、私と出会った記憶まで全て完全に忘れ去り。  

その怨霊、死者を時空を超え一瞬のうちに待合所まで導くのだ。 (痛みで喘ぐとは、殺された時のキズの事)

その痛みは死後も永遠に続く。

 このような事を記せば嘘のようであるが本当の事なのだ。  

更に、多数の怨霊に憑かれていた魂は、たとえ全ての怨霊を除けても安心する事はできない。  

怨霊に、地獄の淵に突き落とされている可能性もあるからだ。  

地獄の淵に落とされると、地獄に屯している化け物の餌食となる。  

数ヶ月前、顔つきは沖縄のシーサーのようであり、体はライオンのような化け物が愛知県の中学3年生の少女に憑いていた。(この化け物の影響を受けていたのか少女は登校拒否となり深夜徘徊を繰り返していた。)  

この化け物を倒すのに三ヶ月間の長期に及んだ。

さすがに最後の一ヶ月は倒せないのでは、と危惧したほどだ。

それ程凄い化け物だったが何とか”離す”事は出来た。

離す事は出来たが倒す事は出来なかった『さすが宇宙総帥様です。負けました、もう離れます。二度と現れる事はありません』と言い去って逝ったのだ。

 戦いとは忍耐であり我慢比べみたいなものでもある。

しかし、私もヘトヘトになった。

最後の方は殆ど寝たきりの状態。

それでも戦いはやめなかった。

今後も熾烈な戦いは続くだろうがそれは覚悟しなければならない。  

だが、この時とは違い今は強力な武器を携えている。

化け物など何するものぞ!  

地獄の淵は化け物や妖怪の巣窟なのである。  

この化け物どもは人知を遥かに超えた能力を備えており、私はこの化け物どもと、先述したが10数回戦った。  

戦う相手としては主に大蛇が多くいた。  

中には白大蛇や体中毛だらけ、(毛だらけと云ってもこの世の動物とは大違い)のものや、大入道(顔は鬼のようで、頭はツルツル、体は人間の数倍の大きさ)のような化け物、他10数匹?と戦い大変苦労した経験がある。  

御伽噺を地で行くお話のようであるが上記は実際にご相談者の魂に憑いていたものである。(人間は、いまだに”霊”が居るや居ないの低次元の論争をしているのに、いきなり化け物の話では、飛躍しすぎと云うものか) 

御伽噺は、視えない世界の真実にある程度沿った物語のようだ。(例とし浦島太郎の逸話で、竜宮城に3日、或いは3年間遊び暮らし、帰ってみると700(300?)年の時が経ていたと云う。  

このお話でもお分かりのように実際に霊界と人間界は驚くような時間差がある。  

確かに人間界と霊界では時間の経過がまるで違うのだ。  

人間界の200年が霊界では、僅か1年足らずの感覚しかないのである。  

故に、前世からの怨霊や数百年前に死んだ土地の持ち主が未だに居ついているのである。  

この怨霊達には数百年前の出来事でも死後数ヶ月しか経っていない感覚なのだ。  

これは、今までの幾多の怨霊との会話から気づいた事である。   

また、たかが10数匹の化け物と戦ったぐらいで地獄の世界を全て知り得たとは思わないが、この戦いのお陰で化け物どもをごぼう抜きにするが如く、引き抜き去る技、能力を得た。    

この能力が付いた以上、もう恐れるものは何もない。

何時でも化け物を引き抜く事が出来るようになった。

と云う事は、霊と云わず怨霊、その他全ての闇に潜むものを引き抜く事が可能になったと云う事だ。  

だが、魑魅魍魎の世界、過信はできない。

何が出てくるやも知れぬからだ。  

更に、化け物を引き抜く事ができたと云う事は、人間の魂も同じように引き上げる事が可能になったと言う事だ。  

この化け物を引き抜くきっかけとなったのが怨霊の移動である。

一瞬にして怨霊の棲む林から、死後初めに逝く霊界の待合所まで移動させられた事だ。  

これをヒントに化け物も何処かに移せるのではないか?と考えた。  

何処に移動させるのかは私には分からない。

それは私の魂(宇宙総帥)の分野だ。  

移動させると云っても、こちらでは(人間界)格段難しい事をする訳ではない。

たんに移動させる為の体操のような術?

と云って良いか、動をするだけだ。

 その術と言っても、私は自分の魂に体を委ねるだけ。(これまで怨霊の施術をした時と同じように)すると魂が私の肉体を使い、と云うより操縦してと言った方がいいだろうが、動かし化け物を何処かに移動させる。

 結果として、私の体はこの世から、あの世への遠隔操作をする操縦機のような状態になっているのである。(怨霊の施術は、別項に記している) 

が操縦機と云って自分を卑下するつもりはない。

 それは私と同一の魂がする事だからである。

 地獄の淵に落ちている魂も、これまで数人引き上げた。

そのあげた場所は、驚く無かれ”天国の入り口”なのだ。  

これは、もはや神の領域に踏み込んだと云う証である。  

なぜ天国でなく、入り口までしか逝けないのか?

と云えば人間の魂の頭上には先祖と繋がった細い紐が上に伸びている。  

この紐がある為それ以上昇る事は出来ない。

また、この紐が切れると死んだ事になる。  

地獄においても淵までしか落ちないと言う事は紐のお陰なのだ。

この紐がある限り生きている証でもあるのだ。

 だが天国の傍まで昇ったと言う事は、神に順ずる位置にまでなったと言っても過言ではない。  

なぜ神の位置に順ずると云えるのか?

それは神は天界(太陽)にすんでいるからだ。

その太陽に最も近い場所と云えば天国しかない。

その”傍”に昇ったと云う事は最早人間ではないという証なのである。  

故に神に一番近い、順ずると言う事がいえるのだ。  

更に死後、紐が切れればそのまま即、天国に入れるからだ。

逆に地獄の淵に落とされているものは、そのまま地獄逝きとなる。  

”天国に順ずる”を補足すると、あるご相談者の魂を天国の傍に引きあげた時、そのご相談者の先祖が降りてきて『私達も上にあげて頂けないでしょうか』と頼んできた。  

それを了解すると『今後私の子孫(相談者)を神に順ずるお方と未来永劫崇めます』と言った事からだ。  

なぜ崇めるのか?

と聞いたところ『神様に一番近いところにあげて頂いたからです』と云うのだ。  

その先祖のあげた先が、驚く無かれ”天国”だった。

『建物は全てキラキラ輝く黄金です』と。

 この、ご先祖の云うように天国の建物は全て金で出来ている。

故に、それは間違いの無い事である。

私としては、上にあげる動作はしたが、まさか天国にあがったとは思いもよらなかった。

霊界にいる魂の昇れる最高の場所と云えば?

それはやはり天国の傍、言い換えれば天国の入り口と言う事だろう。

 同じようなあげかたをした『先祖の行先が天国だった』事からも私の中で証明されたようなものなのである。  

これ程、自由に天国と地獄を行き来させる事の出来る人間は天界より降臨した私だけなのだ。  

人間の意思であがる事は不可能な場所である。

それはどれだけ仏道や何らかの修行をしたところで叶わぬ願いとなるのである。      

 最後までご拝読頂きありがとうございます。

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